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「狼の巣」は第2次大戦中にナチスによって建設され、ヒトラーが指揮を執った軍事施設だ/Pavlo Fedykovych
ポーランド・マズリア地方(CNN) ポーランド・マズリア地方の田園地帯を抜ける細い道は、きらめく湖や苔(こけ)むした沼地に沿って曲がりくねりながら、急勾配の屋根の家が立ち並ぶ村々を通り過ぎる。村は眠ったように静まりかえり、夏の暖かい日でさえ、真冬を迎える準備を整えているように感じられる。
突然、道は深い森へと入っていく。落葉樹の枝の高いところで、鳥たちがさえずる。牧歌的な風景だが、それに騙されてはいけない。
まず廃線跡が現れる。その後複数の廃墟が、木々の間から姿を現し始める。
ここまでの穏やかな田舎道は、実のところ何やら暗い場所へと続いていたことが分かる。そこは「狼の巣」と呼ばれている。この広大かつ人里離れた複合施設で、ナチスドイツの指導者アドルフ・ヒトラーは第2次世界大戦の主要な軍事作戦を立案した。戦争の行方が一変しかけた暗殺計画の舞台にもなった場所だ。
マズリア地方の森と沼地を司令部として選んだのは、ナチスの戦略的な計算だった。1939年9月、第2次世界大戦勃発と同時にポーランドに侵攻したドイツは、東プロイセンの一部であるこの地域を自国の領土と宣言した。
ソ連の侵攻を受けて、東方へ進軍するという積極的な戦略に着手したヒトラーは、ソ連国境近くに中枢を必要としていた。史上最大規模の軍事侵攻作戦の一つ、バルバロッサ作戦が始まるのは1941年夏のことだ。
当時ラステンブルクと呼ばれていたケントシンという小さな町の東側の地域は、立地として非常に有効だった。数十年前に敷設された鉄道のおかげで建設はスムーズに進み、森が天然の防護設備を提供してくれた。さらに重要なのは、ソ連国境からわずか80キロメートルの距離にあったことだ。
開戦初期の勢いに乗り、ナチスは迅速に行動した。ドイツ第三帝国の主要な軍事工学請負機関であるトート機関は、複数のチームを森に派遣。主にポーランドとフランス出身の捕虜たちにも、強制的に作業を支援させた。
41年6月、計画されていた侵攻が数日後に迫る中、「狼の巣」は完成。ヒトラーはそこに移動した。
精巧な天然の迷彩システムが、この隠れ家を敵による空襲から守った/Pavlo Fedykovych via CNN Newsource
「狼の巣」は単なる軍事基地としてだけでなく、ドイツ軍の幹部たちが快適に暮らせる場所としても設計された。そこは高度に整備された要塞(ようさい)であり、森に囲まれた隠れ家でもあった。
施設が稼働すると、ヒトラー以外にもヨーゼフ・ゲッベルス、マルティン・ボルマン、ヘルマン・ゲーリング、ヴィルヘルム・カイテルといったナチスの最高幹部たちがそこへ移り住んだ。
「『狼の巣』は第三帝国の非公式な首都となった」。現在施設の残存部分を案内している歴史愛好家のグジェゴシュ・オパラ氏はそう語る。
施設の規模はヒトラーの野望にも匹敵するものだった。合計で50の掩蔽壕(えんぺいごう)と70の兵舎が建設された。壕の壁は約6メートルの厚さのコンクリートで造られていた。敷地面積は約2.6平方キロメートルに及び、2カ所の飛行場と鉄道駅を備えていた。豪華な増築部分にはティーハウス、カジノ、映画館などが設けられた。
偽装網に生い茂る樹木、苔むした掩蔽壕といった精巧な天然の迷彩システムが、「狼の巣」を空襲から守っていた。施設の周囲には5万個以上の地雷も敷設されていた。
ヒトラーが使用した司令部としての歴史は、45年1月24日に終わりを告げた。この時ドイツ軍は、赤軍の進撃を受けて撤退する際に各掩蔽壕を爆破した。皮肉なことに、多くの構造物が爆発を生き延び、その建設の質の高さを証明する結果となった。
ポーランド領内に残るナチスの史跡の多くと同様、「狼の巣」も朽ち果てたまま放置された。同国で共産主義が崩壊した後は、観光地として開発される。2017年にはポーランド政府が管理権を取得し、歴史的に重要な場所として保存するために大規模な改修工事が行われた。
現在、「狼の巣」には年間約30万人の観光客が訪れている。
施設内の多くの構造物は、自然の中へ取り込まれるような状態で佇んでいる/Michal Fludra/NurPhoto/Shutterstock via CNN Newsource
緑に木漏れ日が差し込んでいても、「狼の巣」で計画、指揮された犯罪の規模を無視するのは難しい。世界史における複数の重要な出来事が、そのコンクリートの壁の中で決定された。バルバロッサ作戦をはじめとする第2次世界大戦における多くの主要な軍事作戦がそれに該当する。ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の中核を成す決定も、ここで議論と調整が行われた。
その不穏な感覚は、舗装された観光歩道の周囲に漂っている。歩道は兵舎のセメントの骨組みや、草木が生い茂った掩蔽壕の間を縫うように進む。暗い廊下、壁のひび割れ、放棄された防火池の淀(よど)んだ水面にも、そうした不安感は残っている。
「狼の巣」には自然の摂理が息づいている。窓のないナチス親衛隊(SS)司令部には、天井から鍾乳石がぶら下がる。マルティン・ボルマンの防空壕跡の石からは、一筋の木々がまっすぐに生えている。巨大なヒトラーの掩蔽壕は苔に覆われ、さながら森に還(かえ)った廃墟という趣きだ。
陰鬱(いんうつ)な歴史を知らなければ、これらの荒涼とした建造物はどこかの古代文明の遺跡なのかとつい錯覚しそうになる。
独裁者の日常
「狼の巣」の中を歩くヒトラー(左)。隣は伊ムッソリーニ政権のガレアッツォ・チャーノ外相/De Agostini Picture Library/Getty Images
ヒトラーは合計約800日をこの「狼の巣」で過ごした。現地を訪れると、当時のヒトラーの何気ない日常を垣間見ることができる。欧州全土で戦争と大量殺戮が繰り広げられる中でも、施設の中の総統はそうしたありふれた生活を送っていた。
「『狼の巣』に来た時のヒトラーは重病で、不眠症、リウマチ、胃腸炎に苦しんでいた」と、ツアーガイドのオパラ氏は説明する。
独裁者の一日は朝食から始まる。その後はドイツの新聞に目を通し、自国の都市への空襲に関する記事を読む。
「新聞記事を読んだ後、ヒトラーは愛犬のジャーマンシェパード、ブロンディと1時間過ごしていた」(オパラ氏)
「狼の巣」はイタリアの独裁者ベニート・ムッソリーニを含む枢軸国の高官たちの会合の場でもあった。
「ムッソリーニはこの施設に3度滞在した。ハンガリーやブルガリアから多くの軍高官が総統を訪ねて来た」とオパラ氏。「東部戦線の状況が良好な時、ヒトラーは来客をこのティールームに招いていた」
独裁者の一日は、長年の伴侶であるエバ・ブラウンへの深夜の電話で終わるのが常だった。1945年4月30日、ヒトラーがベルリンの地下壕で自殺した際には、ブラウンも運命を共にした。
有名なヒトラー暗殺未遂事件の現場には、記念のオブジェが展示されている/Pavlo Fedykovych
「狼の巣」を訪れる人のほとんどは、3番のオブジェで立ち止まる。現在は石の集まりに過ぎないが、かつては主要な会議室があった場所だ。ここでドイツ軍将校クラウス・フォン・シュタウフェンベルクは、ブリーフケースに隠した爆弾でヒトラーを暗殺しようと試みた。
ヒトラーとその側近を狙ったこの暗殺未遂は、前線でのドイツ軍の相次ぐ失敗と、指導者の横暴に不満を募らせたナチス高官グループが計画した。
「ワルキューレ作戦」と呼ばれるこの計画は44年7月20日に実行された。シュタウフェンベルクはヒトラーと20人の将校との軍事会議に出席するため、ブリーフケース爆弾を持ってこの複合施設に入った。そしてテーブルの下に爆弾を仕掛けると、電話をかけるふりをして部屋を後にした。
1944年7月20日に発生したヒトラー暗殺未遂事件後の「狼の巣」の様子/Universal History Archive/Getty Images
爆弾は午後0時42分に爆発し、3人が死亡したが、ヒトラーは軽傷を負っただけで済んだ。暗殺未遂の後、シュタウフェンベルクを含む5000人以上が処刑された。また、この暗殺未遂でヒトラーの被害妄想は悪化し、「狼の巣」における会合の開催方法も変更を迫られた。
「暗殺未遂の後、将校全員が椅子に座ったその後ろに、機関銃を持ったSS隊員が並ぶようになった」とオパラ氏は語る。
ヒトラーに対する暗殺未遂は40回以上も繰り返されたが、その中で最も成功に近づいたのがここ「狼の巣」での計画だった。2008年の映画「ワルキューレ」では、トム・クルーズがシュタウフェンベルクを演じている。
複合施設としての「狼の巣」は、一時約200棟の構造物で構成されていた/Michal Fludra/NurPhoto/Shutterstock
第2次世界大戦で半壊し、事実上廃墟のままの狼の巣だが、現在では大規模な開発が行われ、本格的な観光名所へと変貌を遂げている。通路は分かりやすく整備され、各建物には番号と案内板が設置されている。便利な音声ガイドをレンタルしたり、ツアーガイドを雇ってより没入感のある体験を楽しむことも可能だ。
24年末には、大規模な改修工事の一環として、ホテルとレストランが複合施設に増築された。ピエ口ギ(ポーランドの伝統的な料理)を食べながら、廃墟となったナチス掩蔽壕が集まる不気味な空間の隣で夜を過ごすというのは、ダークツーリズムという概念の中でも珍しい趣向だ。
これには異議を唱える声も出ている。欧州で極右勢力が台頭する中、この陰鬱なナチスの拠点を観光地として開発することについて、歴史家たちは懸念を表明している。
しかしほとんどの訪問者にとって、ヒトラーの旧司令部は思索と記憶の場になっている。そこでは破壊的なナチス・ドイツの軍事機構の内部構造や、そのイデオロギーの中心的な信奉者が送った日常生活について、貴重な洞察を得ることができる。
施設を離れると、周囲の田園地帯が心地よいコントラストを生み出してくれる。とりわけバルミア・マズーリ県を特徴づける何千もの湖が太陽の光を浴びてきらめく景色には、目を奪われるだろう。
殆どここの敷設飛行場だったからな。
結構重要な施設だったのは確か。
それはベルリンの総統地下壕。
ドイツ政府に完全に埋め立てて姿を消した。
今はマンションが上に立ってる。
ヒトラーを火葬した位置だけ意味ありげに
木が一本植えてある、察しろって事だな。
そうじゃないと異世界転生してのんびり世界征服するアニメがつくれねーだろうが
ペンデレツキとかルトスワフスキとか、アントニーヴィトとか、
ハラシェヴィッチとかルービンシュタイとか、
他色々。








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